アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草 -2ページ目

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170302

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草

 【晴】《1日の続き》
 片柳先生は私の足を診察すると「ああ、これは大変だな、内くるぶしにヒビが入ってるよ。ここは蟻にも這わせるなっていう位の大切な所だから、まずは2~3日安静にしていて下さい。明日から当分は往診しますから」と言った。


 母は「先生、このケガがもとでビッコになるなんて事はないでしょうね」と、心配そうに尋ねると、先生は、「大丈夫、ただヒビっていうのは治るまでに案外時間がかかるもんでね。まあ、気長に治療しましょう」と、その日は別の医者にレントゲンを撮りに行き、湿布薬をもらって帰宅した。


 私は添え木をあてられ、真っ白な包帯でグルグル巻きに巻かれた足を、惨めな思いで見つめながら帰宅した。


 次の日から3日ほど学校を休んで床に就いたが、ケガの他はどこも悪くないので、死ぬほど退屈だった。


 2日目の午後に、担任の川島先生がやって来た。


「この大バカ者が、いつもいつもお父さんやお母さんに心配をかけて、本当に親不孝者なんだから」


 枕元に来るなり、先生は早速大目玉だった。


 母はそんな先生をニコニコしながら眺めていたが、「本当に先生、もっと叱って下さい。とにかく私の言う事なんか、少しも聞こうとしないんですから。何だったらコツンとやって下さって結構です」と、とんでもない事を言っている。


 それからしばらくの間、私は先生と母のお説教の嵐にさらされ、(あ〃、早く先生帰ってくれないかな)と、内心祈り続けるのだった。


 夕方近くなると、母は先生に「鳥常」のうな丼をとり、ケガをしている私にも「親子丼」をとってくれた。


 私はこんな美味いものが食えるのなら、たまにはケガをしてもいいかなと思った。http://www.atelierhakubi.com/

著者: 大場 義幸, 仲田 和正, 箕輪 良行
タイトル: けが・うちみ・ねんざのfirst aid
著者: 山中 龍宏
タイトル: 子どものケガ・事故 予防・救急ブック
著者: 佐藤 紀子
タイトル: 赤ちゃん・小児 病気・事故ケガ・応急処置とホームケア

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170301

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草

 【晴】
 公園の弓引場の西北の角には、敷地の真ん中に立つ大ケヤキの落葉が吹きだまって、ぶ厚いじゅうたんのようになっている。


 弓引場自体が、斜面を削って作られていたから、北を通る緩い坂道からは、落差が3mほどの崖になっていた。


 大ケヤキの枝は弓引場全体を被っている上に、東から北に巻いている道の上にも、右手の森からのびる椎やかえでの枝がかかっていて、全体に緑の屋根がかかっているような場所だった。


 落葉の吹きだまりに向かって、約3mの崖を飛び降りるのは、かなりの勇気を必要としたが、思い切って一回やってみると、その面白さのとりこになった。


 冬から早春にかけて、私達はその遊びをよくしたが、ある日の事、何回目かの飛び降りの時に、ほんの少しの油断から、着地点が手前になってしまい、落葉の積もりが薄くて、しかもや〃斜面になっている所に足をついてしまった。


 目から星が飛び出し、息が止まるほどの激痛にのたうっている内に、ちょうど太田市から遊びに来ていた甥を除いた全員が、とばっちりを恐れて逃げ去ってしまった。


 私は甥に家からザンマタ(洗濯の時に竿をかける道具)を持って来るように頼んだ。


 家に駆け戻って行く甥が、ザンマタを引きずって来るまでの間、私は落葉の中に身を沈めて、じっと痛みに耐えていた。


 甥が持って来てくれたザンマタを杖代わりに、そばで心配そうに私を見ている甥にも助けられながら、普段なら家まで数分の距離を30分近くかけて家に戻ると、家人のいないのを幸いに風呂場まで這って行き、桶に水を汲んで足首を冷やした。


 左の足首は見ても分かる程に腫れて来て、ズキンズキンと痛みが止まらない。


 叱られるのが嫌だったので、何とかごまかしてしまおうと思ったが、どうにも隠し切れないと思ったので、帰宅した母に恐る恐るケガした事を話した。


 てっきり大目玉を食らうと思っていたのに、母は意外にも私を叱らず、直ぐに隣のおじさんに頼んで、私を自転車に乗せると、自分も一緒に、浅間下の片柳骨つぎまで連れて行った。


 私は自分のケガが、思ったより重いのを、次第に増して来る痛みで知らされた。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170228

 【晴】《27日の続き》
「ボク、こんなものでも面白いかい」

 おじさんは、愉快そうに笑いながら声を掛けて来た。

「ウン」

 板橋と私は同時に返事をすると、またおじさんの手先に視線を戻した。

「ハハハッ、そうかいそうかい、そんなに面白いんなら、いつでも見においで。そうだ、学校下ったらおじさんの弟子になるか。いいぞ職人は。昔から手に職っていって、いったん身につけさえすれば、もう食いっぱぐれがないからな」

 私はおじさんの話を聞きながら、(似たような話、どこかで聞いたな)と思った。

 緑町界隈には沢山の職人さんがいたし、仕事の種類も相当に多かったから、きっと耳に慣れたセリフだったのだろう。

 マキ引きと両刃は、結構早目に目立てが終わったが、銅付きにはそれまでの倍以上の時間がかかった。

 ヤットコで刃並びを揃えたり、今度は逆に金床の上で刃を叩いたり、ヤスリの使い方も、それまでとは全く違って、ゆっくりと少しづつ、とても丁寧だった。

 やっと納得がいったのか、おじさんは「ヨシッ」と大きくうなずくと、何かの油を湿した布で、ノコギリを一本一本丁寧に拭い、「危ないから包んであげるよ」と、新聞紙で包んで渡してくれた。

「勘定はつけといて下さいって」

「ハイヨッ、まいどどうもね。気をつけて帰るんだよ」

 おじさんの声に送られて、板橋と私は店を出ると、表通りを横切って露地に入り、福田の辻に出て左に折れ、三井屋の脇から公園通りに出て帰宅した。

「板橋、家に帰るの遅くなって怒られないか?」

「大丈夫だよ。帰りに渡辺の家に寄ったって言えば平気」

「そうか、んじゃあ公園抜けて行こう。途中まで送るから」

「ウン」

 父にノコギリを渡すと、私は板橋を送るために公園に入って行った。http://www.atelierhakubi.com/


著者: 小関 智弘
タイトル: 職人学



著者: 佐江 衆一
タイトル: 続・江戸職人綺譚



著者: 佐藤 隆介
タイトル: うまいもの職人帖

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170227

 【晴】《26日の続き》
 板橋は嬉しそうに「ウン」と返事をした。

 目立て屋のおじさんの店は、7丁目の切通しの手前を「三宝院の方へ入って行く道沿いにあり、少し行くと母が行き付けの周藤という髪結いの店もあった。

 間口二間ほどのガラス戸を開けて中に入ると、幅半間ほどの三和土をはさんだ八畳ほどの板の間の仕事場で、おじさんが仕事をしていた。

「すみません、目立てをお願いします」

 私は持って来たノコギリを上がり框に置くと、おじさんに声を掛けた。

「ハイハイ、渡辺さんだね、まいどどうも。今すぐやるから、そこに座って少しの間待っててね」

 おじさんは愛想良く答えて上がり框近くに出て来ると、「いま茶をいれるからね」と、子供の私達にお茶をいれてくれた上に、木のくりぬき器に盛られたお煎餅を出してくれた。

 おじさんはお茶をいれる時に、茶筒からほんの少しの茶葉を急須に足し入れた。

 私は家とは違うお茶のいれ方が珍しくて、その記憶が妙にのちのちまで残った。

 お茶をいれ終わったおじさんは、私が持って来たノコギリを手にすると、直ぐに仕事を始めた。

 最初に手にしたのはマキ引きノコだったが、おじさんはノコを二枚の板で挟んで固定すると、刃を上にして両足の平でおさえ、ヤットコの先を使って刃並びを整えながら、小さな目立てヤスリを器用に使って、みるみる内に目立てして行くのだった。

 私と板橋は、お煎餅を食うのも忘れて、おじさんの見事な手先の動きに魅入っていた。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170226

 【晴】
 学校から帰ると、父が何本かのノコギリを用意して私を待っていた。

「このノコギリの目立てを頼んで来てくれ。多分その場でやってくれるから、出来るまで待って、待ち帰って来い」

 ノコギリの目立てをしてくれる人の家には、今までに何度か行っているので、私は喜んで使いに出た。

 大きなマキ引きノコが一本と両刃が一本、それに銅付きが一本だった。

 ノコギリを抱えて表通りに出ると、学校帰りの板橋とバッタリ会った。

「どこに行くん?」

「ノコギリの目立て屋だよ」

「ウァー、俺も一緒に行っていい?」

 私は連れが出来るのが嬉しくて、「ウン、一緒に行こう」と直ぐに返事をした。

「僕はまだノコギリの目立てをする所を見た事ないんだ」

 板橋は自分の事を僕と呼ぶ、少数派の一人だった。

「けっこう面白れえぞ」

 ノコギリの目立てに限らず、私は手仕事の現場を見るのが、なぜか大好きだったので、そんな折には時の経つのも忘れて見学した。

「あんな硬い物を、どうやって研くのかな?」

 板橋にとっては、細かい刃がズラッと並んだノコギリを、砥石も使わずに仕立てるのが、物凄く不思議なのだと言う。

「目立てヤスリとヤットコでやるんだよ」

 私は少し得意そうに板橋に教えてやった。

 簡単な目立ては、父や職人達が、素人仕事でやっているのをよく見ていたので、私にも真似事くらいは出来たから、言葉で説明できなくはなかったが、「向こうに着いたら、おじさんが目立てする所を見られるぞ」と、板橋に言った。http://www.atelierhakubi.com/


著者: 吉川 金次
タイトル: 自伝 のこぎり一代―昭和を生きた職人の記録〈上〉



著者: 吉川 金次
タイトル: 自伝 のこぎり一代―昭和を生きた職人の記録〈下〉

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170225

 【晴】
 学校の行き帰りに道沿いの家を覗くと、ガラス戸越しに雛飾りが目に入って来た。

 (あ〃、もうお雛様なんだな)と、子供ながら季節の変り目を肌で感じ、何となく心がウキウキした。

 我が家にも以前は古いお雛様があったのだそうだが、私が産まれるずっと前に長女を水の事故で、続いて次女を病気で亡くした親が、そのお雛様を知り合いに譲ってしまったので、私は自分の家の雛壇飾りを見た事がなかった。

 二人の姉も、その事に別段不満がある様子もなく、当日に桜餅とあられが食卓に乗るだけの、ささやかな雛祭が我が家の習慣だったようだ。

 私の住む緑町は、とても古い町だったから、昔からの習わしや行事が、生活の中にしっかりと根付いており、早い家では2月の20日過ぎには、もうお雛様を飾っていたと思う。

 毎年、近所の仲間の家のどこかにおよばれに行ったが、正直に言うと、女の子の祭に招待されても、あまり楽しくはなかった。

 第一によそ行きの服を着て行かねばならないのも、あまり面白くなかったし、遊びのほとんどが家の中だったから、それも気に入らない理由のひとつだった。

 ただひとつ良かったのは、普段はあまりありつけない、珍しいお菓子や飲み物にありつける事と、帰りには沢山のお土産が貰えた事だった。http://www.atelierhakubi.com/


著者: 冷泉 為人, 西岡 陽子, 山埜 幸夫, 田中 久雄, 四方 邦〓
タイトル: 五節供の楽しみ―七草・雛祭・端午・七夕・重陽



著者: 井上 重義
タイトル: ちりめん細工 季節のつるし飾り―雛祭り・端午・七夕・お正月



著者: 酒寄 健治, 酒寄 豊子
タイトル: 日本の文化・真壁の雛祭り―酒寄健治・豊子写真集

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170224

 【晴】《23日の続き》
 少し寒くなって来たので、私も平野のおばさんの店に入った。

 おばさんは母の友達だったので、いつも何を頼んでも、他の奴より少し量を多くしてくれるのが嬉しかった。

「おばさんヤキソバ」

「ハイヨ、さっきから晃ちゃんが境内にいるのが見えていたけど、わざわざあんな所で、ヤキソバなんか買わなきゃいいのにと思ってたんだよ。祭の店は高いし美味くないし、第一汚いよ」

 おばさんは私の顔を見るなり言った。

「大丈夫買わないよ。来る時に母さんが、どうせ何かを買うのなら、平野さんちで買いなさいって言ってたから、そのつもりでいたんだよ」

「そうかいそうかい、お母さんそう言ってたかい。やっぱりあんたのお母さんは偉いよ」

 私には何がそんなに偉いのかよく分からなかったが、余計な事を言うとロクな目には会わないのを知っていたから、黙っておばさんのヘラをさばく手元を見ていた。

 座敷には三台のもんじゃき台があったが、どれも塞がっていて、順番待ちをしているのか、何人かの見知った女の子達が、上がり框に腰を掛けて足をブラブラさせている。

「おばさんポテトも少し入れてね」と私が言うと、「分かってるよ大丈夫まかしておきな」と振り返った肩越しに答えた。

 (あ〃、多分オマケしてくれるんだな)と思うと、私は何だかとても嬉しくなって、思わずニヤニヤしてしまった。

「晃ちゃん、何ニヤニヤしてるん、気持ち悪い」
そばにいた前原さんが、私の肩を突付いて毒づいた。

「うっせえな、人が何しようと勝手じゃねえかよ」

「あっそう、いいのよいいのよほっといて、あなたがニヤニヤ笑うのも、私がそれを恐がるのも、みんな私が悪いから」

 前原さんは妙なセリフを吐くと、キャッキャッ笑い転げながら、仲間の所に戻って行った。

 私は(あああ、明日また学校で皆に告げ口するんだろうな)と思って、おばさんの店に入ったのを、少し後悔した。http://www.atelierhakubi.com/


著者: 加藤 文
タイトル: やきそば三国志



著者: やなせ たかし, 東京ムービー, 大森 いく子
タイトル: アンパンマンのおいしいものくらぶ〈1〉やきそばをつくろう



著者: 講談社
タイトル: お好み焼 たこ焼 焼そば―おいしい味お店の味をあなたの手で