アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草 -15ページ目

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/161201

 【晴】《30日の続き》
 西の空は夕焼けで真っ赤に染まり、大きな荷を担いで私の前を行くヒロやんと自転車の影が、左手の田んぼの上に長々と出来ていた。

 腕のケガが痛むのか、ほとんど口を閉じてトボトボと歩くヒロやんが心配で、何か気のきいた一言をと思えば思うほど、私もまた口数が少なくなってしまい、何となく気まずい空気が二人の間にわだかまっていた。

 影は田の面に合わせて、まるで踊るようにユラユラと形を変えながら、私達の横にピッタリと並んで附いて来る。

 私は何だか心細くなってしまい、思わず涙が出そうになってしまったのだが、そんな気配を察したのか、ヒロやんは急に歌を歌いだした。

「ひとつ出たホイのヨサホイノホイッとくらあ…」

 情緒も風情も品もないヒロやんの胴間声が、見渡す限り落日前の緋色に染まった世界の中に吸い込まれて行く。

「大丈夫、心配ねえって。こんな事俺ぁしょっちゅうだから、慣れてんのさ。もう少し行くと部落があるから、そこでパンク直してもらって先に行くべ」

 ヒロやんは重い荷物のために後を振り返る事が出来ず、前を向いたまま大声で私を励ましてくれた。

「ウン、俺も平気だよ。ヒロやん痛くない?」

「こんな傷なんか蚊に刺されたようなもんだ。それより晃ちゃん足痛くねえか。押してる自転車重くねえか」

 本当は足も痛いし自転車も嫌になるほど重いけれど、「痛くないよ。自転車も軽いよ」と言った。

 そのせいかどうか、私は急に足の痛みも自転車の重みも軽くなったような気がして、思わず「ヒョーッ」と叫んでしまった。

 やがて何とか視界が効くギリギリのあたりの薄闇に、人の気配が動いているのが分かると、ヒロやんは「オーッ、ヨッさんとハルさんがあそこで待ってるぞ」と言った。

 ヒロやんの視力は3.0以上だと聞いた事があるが、その話はもしかしたら本当かもしれないと思った。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/161130

 【晴】《29日の続き》
 基地が近くにあるので車の通りが激しいのだろう。
轍の所の砂利が道路の端に押しやられて盛り上がった所に、ヒロやんは頭から突っ込むように横倒しになった。

「痛えっ、肘がまさか痛えよ。膝が挟まって動けねよ」

「このデレスケ野郎が。またひっくりげえりやがった。いったいどうしたってんだ」

「分かんねえよ、いきなりハンドル取られてよ。あっという間にひっくりげえっちまったんだよ」

 ハルさんが前輪に指を当てて強く押すと、ペコンと潰れるのが私からもよく見えた。

「パンクだな。こんなになる前に気が付かなかったのかよ」

「さっきから少しハンドルが重てえとは思ったけんど、下が砂利だから仕方ねえと思ったんだよ」

「仕様がねえ、とにかくパンク直さねえ事にはどうする事も出来ねえ。どこか自転車屋のある所まで押して行くか」

 ハルさんはそう言うと、ヨッさんと二人でヒロやんの自転車を立て直し、ヒロやんを助け出した。

 ヒロやんは今度はどこかケガをしたらしく、痛そうに顔をしかめながら腕をさすっていた。

「どれ見せてみろ」
ハルさんがヒロやんの袖をまくって腕を出すと、手首から肘までスリ傷が出来て、そこから少し血がにじんでいた。

「痛え、まさかしみるよ」

 ヒロやんがしきりに弱音を吐くと、ハルさんは「こんなの傷の内に入るかよ。絵に描いたようなカスリ傷じゃねえか」と冷たく突き放した。

「ひでえよ。自分が痛え思いをしてねえから、そんな冷てえ事が言えるんだよ。ああ、ハルさんがそんなに冷てえ人とは思わなかったよ」

「ああそうだよ。俺は冷てえ人間だよ。だからオメエをおぶってなんかやんねえからな」

 ハルさんは笑いながらヒロやんをからかうと、ヒロやんはムキになってハルさんやヨッさんの人柄を責めた。

 ハルさんはそんなヒロやんの言う事など眼中になくて、くどくどと文句を並べるヒロやんに、細引きを使って自転車の荷を背負わせた。

「先に行って自転車屋を見付けておくから、オメエは自転車を転がして後から来いよ」
ハルさんとヨッさんはそう言うと、自転車に乗って走り去って行った。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/161129

 【晴】《28日の続き》
 荷物をつけたままで、どうにか自転車を立ててヒロやんを助けたが、そのままで街道に戻すのは無理だと諦めて、細引きで荷台にガッシリと縛りつけてあるのを苦労して解き外し、荷はヨッさんとハルさんと私で、自転車はヒロやんが街道まで運びあげた。

「田んぼが乾いていたから荷を汚さずに済んだが、もし泥で汚してみろ、ここから足利まで引っけえしだぞ。このデレスケが」

 ヨッさんはひとまず安心したのか、ホッとした顔でヒロやんに毒づいた。

「本当だ、ダメだぞヒロ。オメの足の骨一本くれえ折っぺしょれたって何の事もねえが、荷を汚したら面子丸潰れだぞ」とハルさん。

「大丈夫だよ。このくれえでケガしてるようじゃ、コーヤ(染屋)の職人はつとまらねえよ」

 ヒロやんは少し意地を張ったような見栄を切って腕まくりした。

 休む間もなく荷を自転車に積み直すと、私達は慎重に自転車を発進させ、まだ遠い届け先へと出発した。

 大荷物を積んだ自転車は、乗り出す時と止まった時が一番倒れやすいのだ。

 ヒロやんはさっきの失態がよほど気になったのか、その後はめっきりと言葉が少なくなり、代って前を走るヨッさんとハルさんが、気楽な世間話を笑いをはさみながら交し続けた。

 一番うしろを夢中でついて行く私には、二人の会話の内容はよく分からなかったが、甘柿も確かに美味しいが、渋を抜いた樽柿はもっと美味いとか、一生に一度でいいから、バナナを死ぬほど食べてみたいとか、その気になればゆで卵を水も塩もなしで10個食えるとか食えないとか、そんな話のようであった。

 私はゆで卵を10個も水なしで食べるなんて、とても無理だと心の中で思ったが、それを口にする余裕などなかった。

 街道は南へ南へとどこまでも続き、陽は次第に傾いて、少しうしろに下がった金山の上の雲が、さっきよりもずっと濃い橙色に染まっていた。

「ねえヒロやん、小泉はまだ遠い?」

 私は恐る恐る前を行くヒロやんに声を掛けた。

「さっき沖ノ郷を過ぎたからもう直ぐだ。あと30分位かな」

「30分は無理だんべ。俺達だけならそんなもんだが、今日は晃ちゃんがいるからな」

 ヨッさんが前から皆に聞えるように大声で教えてくれた。

 その時、私達の脇をカーキ色のジープが列を作って走り過ぎて行った。

「ヒャッホー」「ヘーイ」「タイヘンね」
軍服姿の若い兵達達が、私達に向かって奇声をあげる。

「ハロー、サンキューね」

 ヒロやんが場慣れした調子で明るく答えると、兵隊達は手を振って走り去って行った。

 私はビックリしてもう少しで転びそうになったが、いつもは少し馬鹿にしていたヒロやんが、アメリカ兵と話をしたのを見て、すっかり度肝を抜かれてしまった。

「ヒロやんアメリカ人と話が出来るの?」

「あたりめえよ、アメ公なんてどうって事ねえさ」
そう言ったとたん、ヒロやんはまた「アー」と叫びながら転倒した。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/161128

 【晴】《27日の続き》
 土手の上の砂利道は所々に大きな穴があったが、轍に逆らわずに走って行くと、意外に車輪を取られる事もなく前に進めた。

 渡良瀬橋を渡り女浅間と男浅間の間の切通しを抜け、太田街道を少し行って、街道の左手を走る東武線の最初の踏切を左に折れると、八幡様の辻までは道の両脇に人家が続いているが、そこを過ぎると見渡す限りの田園地帯で、遥か南に地平線が横たわっていた。

 右を見ると、太田の金山山塊の上にかかる陽が、間もなく夕暮になる時を知らせるかのように、黄色い光を放っている。

 私は三人の自転車のうしろに必死で食いついてペダルを踏んだ。

 自転車といっても、実際に目に入るのは白い布に包まれた大きな直方体が、右に左に揺れながら、荷の下に車輪をつけて走っている姿だけで、近くにいるとかえって人の気配が切れてしまい、荷物だけが生き物のように走っているような、奇妙な錯覚に襲われたりした。

「そろそろ例幣使街道に入るけど、道がくねくね曲ってるからハンドルとられるなよ」

 ヒロやんが大声で注意する声に、「ウン分かった」と答えると、私はハンドルを握り直して前方に意識を集中した。

「足利を出て邑楽に入るぞ」

 私に教えるためにヒロやんは少し体をうしろに向けたのか、声と同時にヒロやんの荷が大きく左に傾くと、「オー、オー、オー」と悲鳴を上げながら街道脇の草薮の中に突っ込んで行き、必死で立て直そうとする努力も空しく、そのまま横倒しになって下の田んぼに落ちて行った。

「ヒロやんが落っこちた」

 私は前の二人に大声で告げると、何とか倒れずに自転車を止めてスタンドを掛け、薮を掻き分けて田んぼにおりて行った。

 街道から田んぼまでは1mほどの落差があったが、幸いにも薮の下は急ではあったが勾配がついていたので、落下は思ったより強い衝撃にはならなかったようだった。

 それでもヒロやんは荷の下敷きになって動けず、駆けつけた私に、「やっちゃったい」とテレ笑いしていた。

「どしたケガねえか、荷物は大丈夫か」

「全くドジ野郎なんだから、だからオメエはいつも生傷が絶えねえんだよ」

 ヨッさんもハルさんも、そのあとバカだのデレスケと盛んにヒロやんを罵ったが、本当は心配で仕方がないのが痛いほど分かった。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/161127

 【晴、西の風】
 ヨッさんとハルさんとヒロやんが、さらしの大風呂敷に包んだ絹糸の十二束づつを荷掛けに積んで、これから小泉(現在の大泉町)まで配達に行くと聞くと、私は矢も盾もたまらずに一緒に行くとせがんだ。

 井ゲタに六段重ねて包んだ絹糸の荷は、高さが150cm、一辺が60cmほどの大きさになる。

 それを荷掛けの大きな運搬車と呼ばれる、えらく頑丈な自転車に積むと、走る姿はちょっとした見せ物だった。

 小泉までは自転車で行きは2時間半、帰りは2時間というところだろうが、今出発すると帰りは夜の8時を過ぎてしまう。

 絶対に駄目という母をなだめて、父は私も荷物を運ぶなら一緒に行っていいと言った。

 私はハルさんから二束分けてもらうと、それを自分の自転車に何とか積んで、何度も注意する母の声を背に、三人のうしろについて家を出発した。

 私の前を行くヒロやんの姿は、大きな荷に隠れて全く見えないが、「大丈夫かコーちゃん、もしもひっくりけえったら直ぐ大声出すんだぞ、さもねえと置いてけぼり食うからな」と、大声で励ましてくれ、間をみては「オイ、いるか」と気を配ってくれる。

 緑橋を渡った方が近道だったが、それには土手を二度上らなければならないので、先頭のヨッさんは「無理してぶっくりけってもごはらだから、鉄橋を渡るべ」と、川万の四つ辻を左に折れて渡良瀬橋の方へ向かった。

 私は内心(ああ良かった。土手の坂をのぼるの大変だものな)と、ホッと胸を撫で下ろした。

 それでも、新水園の前を過ぎて今泉土手にさしかかると、道は緩い上り坂になって、三人は立ちコギで坂を上ったが、まだ家から目と鼻の先だというのに、もうこんなに苦しいなんて、先が思いやられて少し不安になった。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/161126

 【晴】
 木枯しが吹く頃になると、我が家では柚子湯をする日が多くなって、家の者だけでなく貰い風呂の人達も喜んだ。

 柚子の木は大抵の古い家にあったから、あまり珍しいものでも高価なものでもなかったが、晩秋から初冬にかけての食卓には欠かせなかったし、砂糖漬けや蜂蜜漬けにして、風邪をひいた時など薬代わりに熱いお湯を注いで飲んだりした。

 柚子湯は実を10個ほど布袋に入れて風呂に入れただけの単純なものだったが、風呂場いっぱいにいい香りが広がって、心まであったまる気がした。

 あかぎれやしもやけの人は、柚子を薄切りにして壷に入れ、一日に何回か汁の中に手を入れてよく擦っていたが、本当に効いたのかどうかは分からない。

 私はよく熟した柚子の種がいっぱいの中身を食べるのが好きだったが、祖母は柚子を食べる私を見ながら、「あ〃やだっ、見ているだけで口の中がすっぱくなるよ」と顔を背けるのだった。

 工場裏の本島の屋敷には、この辺で一番大きな柚子の木が、季節になると枝いっぱいに実をつけ、その一部が石炭置場の上に張り出していたので、私はその実を有難くちょうだいしていた。

 すると本島家の一人息子が目ざとく見付けて、「ドロボー、ユズドロボー」と、塀の向こうから大声で叫ぶのだった。

「ウルセーな、おめんちのおばさんが採っていいって言ってんだよ」

「ウソだあ、ウソだあ、ドロボー、ドロボー」

 本島のオバさんが母に、「そっちに入っているのは、どうぞ採って使って下さい」と、本当に話していたのを聞いていたので、こっちも負けてはいられず、塀を挟んで口ゲンカしていると、いきなりうしろからポカッと頭をどやされたので、ビックリして振り向くと、父が鬼のような顔をして立っていた。

 私はスゴスゴとその場を去ったが、その後本島の息子(ケンさん)とは無二の友となった。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/161125

 【晴】
 日曜日を利用して弓引場の物置を壊す仕事に、子供会が参加した。

 弓引場は八雲神社の境内だったから、宮司の桜木先生の長男で、子供会のリーダーのひろきさんが、現場の采配をふるっての作業だった。

 子供とはいえ、何10人の手にかかれば、半分朽ちかかった物置など物の数時間で解体する事が出来たのだが、私は作業中に金づちの柄を折ってしまった。
ひろきさんはそのまま返してくれればいいと言ってくれたが、私の脳裏には鬼より怖い桜木先生の顔がチラついて、とても柄が折れたままの金づちを渡す事が出来ず、無理矢理預って家に持ち帰った。

 その夜は心配のあまり食欲もなく、床に就いてもなかなか寝つかれなかった。

 翌朝少し早目に起きて家を出ると、途中で角丸のオジさんの所に寄った。
角丸のオジさんの家は建具屋で、表通りに間口2間ほどを開けて仕事場が見えていたので、私はよく店先に腰をかけて道草を食ったものだった。

「オッどした、こんな朝早くから」

「ウン、オジさんこの金づちの柄10円で直してくれるかな」

「どれ見せてみろ。学校の帰りに寄りな。直しておくから」

 私はそれを聞くと芯からホッとして学校に急ぎ、授業が終わると角丸の店まで駆けて行った。

 金づちの柄は見事に新しくすげ代って、何だかこのまま返すのが惜しい程の出来だった。http://www.atelierhakubi.com/