アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草 -13ページ目

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/161215

 【曇】《14日の続き》
 時間を見計らって出掛けたのだが、劇場に着いてみると本編はまだ終わってなかった。

 入口の左脇の切符売場で、母が入場券を買っている間に、私達は断って中に入り、ロビーのイスに座って中が一区切りするのを待っている内に、どこからともなく漂って来る焼きイカの匂いにつられ、ロビーの両脇についている階段の一方を上って行った。

 末広劇場の売場は二ヶ所あって、一ヶ所は一階の正面に向かって左側の通路の奥、もう一ヶ所は二階のロビーだった。

 イカを焼くのは一階の売場だけで、それを二階の売場と場内に持ち込んで売っている。

 もし買うのなら一階の方が良いのだが、その売場からはスクリーンが見えてしまうので、後半の一番良いところをチラッとでも目にするなんて、絶対に嫌だったから、わざわざ二階の売場に行ったのだ。

 姉二人と私そして弟の四人の分だけ買い、「あとで母がまとめて払います」と上の姉が言うと、「ハイ分かりました。まいど有難うございます」と顔見知りのおばさんが笑いながら御愛想で答えた。

 私達がイカをほ〃ばっていると母が上がって来て、「今、下の売店にもお願いして来ましたけれど、家の者の注文はつけておいて下さい。帰り際にお払いしますから」とおばさんに言った。
おばさんは「ハイ、受け賜りました。いつもいつもすみません。今夜はごはんはお済みですか」と尋ねたので、母は「ハイ、それでも帰りに脇で夜食でもと思っているんですよ」と答えた。

「それじゃあおでんは具を足さなくってもよろしいでしょうか」
おばさんは我が家が多人数で来ているのを知っているのだろう。

「いいえ、どうせみんなお腹を空かせているでしょうから、お酒もおでんも好きなだけ出して下さいな」と答えた。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/161214

 【晴】
 末広劇場が連日超満員の盛況なのは、大長編映画「忠臣蔵」が上映されているからだった。

 全編4時間余を「花の巻」と「雪の巻」の2編に分けて、当時第一線の俳優陣が総出演して巨編という事で、学校でもその話でもちきりだった。

 既に観てきた奴らは、口から泡を飛ばしながら次々と名場面を語って聞かせ、まだ観てない奴らは、一日も早く映画館に行きたいと、そればかりを願っていた。

 我が家でも父母をはじめ、兄や姉達までもが大騒ぎだったので、ある夜一家総出の映画見物となった。

 早目の夕食のあと、私達は大挙して末広劇場に向かった。

 父と母、三人の兄と兄嫁、そして姉二人と私と弟、そしてハルさんとヒロやん、モトさんにヨッさん、あとは町田の叔父叔母と那須の叔父の総勢17名だった。

 ヒロやんは映画を観る前から物凄く興奮していて、映画館への道すがら両腕を捲り上げ、行き交う人を睨みつけて、まるで自分が討入りをするような剣幕だった。

「ヒロッ、今からそんなに力んでちゃあ、映画観る前にへたばっちまうぞ。何もおめえが討入る訳じゃねえんだからよ」

 ハルさんが苦笑いしながらヒロやんに言った。

「分かってるんだけどよ、何だか武者震いがとまんねえんだよ」

 ヒロやんは本当に頭がおかしくなってしまったらしく、ぐるぐる廻ってみたり、電信柱に抱きついてみたり、他の人達のように真っ直ぐに歩けないようだった。

 長兄の嫁はそんなヒロやんがおかしいと、ずっと笑いっぱなしだった。

 映画なんかめったに観た事もないし、ましてや「忠臣蔵」を観られる今日のヒロやんが、少し気が狂ったようになる気持ちが、私には何だかよく分かった。

 ヒロやんの稼ぎは、ヒロやんのおふくろさんが直接受け取りに来てしまうから、ヒロやんが使える小遣いなんて、たばこ銭が目一杯なのだ。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/161213

 【晴】
 師走の餅つきは、家中総勢で一日がかりの大仕事だった。

 父母や兄達、そして10人余の勤め人達が、朝早くから夜遅くまで搗きまくっても、全部を終わらすのは大変なくらい、大変な量の餅を搗くのだから、それはもう近所を巻き込んでの一大イベントになっていたのだ。

 我が家の分は約一俵、そして勤めている職人達の分、隣近所の頼まれ分、合わせると五俵近い量になる。

 釜場の大釜の上には六段重ねの角セイロが湯気を吹き、もち米のふける良い匂いが立ち込めて、皆の気分を弥が上にも浮き浮きとさせて、まるで祭のような賑わいだった。

 冬休みに入っている子供達は、その日のほとんどを工場の中で過ごした。

 セイロのもち米が臼の中に入れられる度に、「ホレッ」と一握りづつ順番に貰えるのが楽しみだったのだ。

 搗きたての餅も美味しいが、蒸したてのもち米は甘くてあったかくて、とても美味いものなのだ。

 20人近い子供達がたむろしていても、100臼以上搗くのだから、全員が腹一杯になってもまだ余るほどなので、何臼かおきに作られる餡ぴんと呼ばれる甘い餡ころ餅や、大根おろしをまぶしたからみ餅が食べられなくなっては大変とばかり、皆要領良く加減して食べた。

 夜になっても釜場はシャツ一枚でも暖かく、半地下式の炊き口に降りると、そこは洞穴のような不思議な雰囲気で、子供達にとっては、めったに入る事の出来ない場所だった。

 夜も深けて、いつもならとっくに床に入っている時間なのに、皆目を擦り、一分でも長く起きていようと必死だった。

 それでも、絶えず耳に飛び込んで来る大人達の笑い声や楽しそうなさんざめきを聞いていると、いつの間にかコックリコックリと舟を漕いでいた。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/161212

 【曇一時雨】《11日の続き》
 田中のオバさんは、私が小学校一年生の時から仲の良かった田中仲司のおふくろさんで、おやじさんは高砂館の映写技師をしていた。

 その頃は映画館関係者の家族の特典で、市内の映画館ならどこでも無料で入れたので、私は田中と一緒によく映画のただ観をした。

 母は私が田中と付き合うのを快く思ってはいなかったのだが、それは田中が今でいう非行少年、その当時の不良少年だと思われていたからだった。

 確かに田中は野生児ではあったかもしれないが、決して非行少年などではなく、朝は登校前に牛乳配達、下校後は毎日豆腐売りのアルバイトで家計を助けてさえいたのだ。

 だから息抜きに金のかからない映画館通いをする位は当り前だったと思う。

 田中にはお姉さんと妹が一人づついて、二人共とても優しい人だった。

 私は時々下校途中に田中の家に寄って、お姉さんの用意してくれた弁当を田中が食い終わるのを待って、一緒に豆腐売りに付き合う事があった。

 別に何をする訳でもないのだが、豆腐の入った大きな木箱を付けた自転車のあとを、ただ黙ってついて行くだけでも、田中には気晴らしになったようだ。

 行く先々でおばさん達と如才なく会話をしながら商売をする田中は、学校では絶対に見る事のない、まるで大人のような姿だった。

 ひとまわり約3時間ほどで、持って来た豆腐や油揚げなどは全て売り切れる。

 聞けば売れ残る事はめったにないのだそうだ。

 私は田中の自転車のあとを走りながら、(本当にこいつは偉いな)と、いつも心から思った。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/161211

 【晴】
 夕飯支度の煙が、大人の背丈より少し高い所でたゆたって、目の届く限り続いている中を、唐草の風呂敷に包んだお重を両手に提げて、うなぎの蒲焼やどじょうのくりから、鯉の洗いなどを売りながら、田中のオバさんがやって来た。

 私はどじょうのくりからが大好きで、普段はめったに食べられないけれど、風邪をひいた時などは薬代わりに食べさせてもらえたので、毎日のようにこの辺を売り歩くオバさんとは顔見知りだった。

「オバさん今日は売れた?」

「あんまり売れないんだよ。お母さんにまた買ってもらえないかしらね」

「ウン、聞いてみるから一緒に来て」

 私はしめたとばかりにオバさんを家まで案内して、「あのね、オバさん今日はあんまり売れないんで、家で買ってもらいたいんだって」と言った。

 母はこんな時に決して嫌と言わないのを私は知っていたから、今夜は久し振りに好物のくりからにありつけると思っていたら、「まあ、ちょうど良いところに来てくれましたね、鯉の洗いを今あるだけ貰いましょうかね」と、私の思惑とは違った結果になってしまった。

「ハイ、いつも有難うございます。洗いは全部で5人前ですがそれでよろしいですか」

「少し足りないけれどいいですよ。田中さんも毎日大変ですね。お身体を壊さないようにお稼ぎなさいましね」

「有難うございます。おかげ様で体だけが身上でして」

 オバさんはそう言うと、荷物をまとめて夕闇の中に消えていった。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/161210

 【晴】
 まだそれほど遅い時間でもなかったが、朝からの曇り日のために、もう夕方になってしまったような気分で遊んでいると、ひんやりと底冷えのする中から、少し薄汚れた姿の虚無僧が一人、まるで湧き出るように近付いて来て、我が家の門口に立つと、子供でも分かる見事な尺八の演奏を始めた。

 毎年木枯しの季節の到来と共に、この辺にはよく托鉢の僧や虚無僧が浄財を求めて門口に立つのだ。

 栄町の清水のおばあさんも、近所ではご詠歌おばあさんとして有名な人で、何人かの仲間と浄財を集めるために、露地を廻っているのを時々見掛けた。
勿論全て恵まれない人達に寄付するための仕事なのだが、虚無僧の中には偽者もいると母から聞いた。

 私達には誰が本物で誰が偽者なのか区別はつかなかったが、どちらにしてもまるで映画の場面のようでカッコ良かった。

 だから托鉢僧やご詠歌のあとをついて行く事はなかったが、虚無僧のあとにはよくついて行ったものだった。

 年が明けてからなら分かるのだが、年末のカラッ風の中を、すり切れた獅子頭を抱えて門付けをしてまわる人の姿は、誰の目にも寒々しく映ったが、そんな人も時々は町内に入って来たのだ。

 まるで怒鳴り散らすかのような大声で「家内安全無病息災商売繁盛」と喚きながら、獅子の口を壊れそうな勢いで開閉して、その家の人を恫喝する事で小銭をせしめる、形を変えた強請なのだが、誰も警察に知らせないで、黙って何がしかの小銭を渡して次に廻した。

 優しさというより、そこまでして金を稼がなければならない人の哀しさを、多分知っていたのだと思う。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/161209

 【晴】
 “ツーツーレロレロツーレーロ、ツーレーロレツレロレシャン、ツレラレツレシャンシャンシャン、高崎観音ズロース取ればあ、なあらあ(奈良)の大仏かけて来るかけて来る”

 ヒロやんが教えてくれたばかりの歌を、ギリ場のだるまストーブの前で歌っていると、母がいきなり頭をどやしつけた。

 私はびっくりして逃げるのも忘れ、ただボーッと母を見ていた。

「本当にこの子は悪い子だ。そんな歌どこでおぼえたんだろう。私は恥かしくて外を歩けないよ全く」

「ちがうよ、ちがうよ、ヒロやんがこの歌は観音様と大仏様が出てくる、とても良い歌だから、しっかり憶えて学校やみんなの前で歌ってやれって言ったんだよ」

 私はオイオイ泣きながら母に訴えた。

 いきなりぶっとばされたのが悲しいというより、ほめてもらえると思っていたのが、逆に叱り飛ばされたのがショックだったのだ。

「ヒロッ、ヒロッ、ちょっとこっちにおいで」

 母は大声で釜場の方に声を掛けたが、職人を呼び捨てにする時の母がどんな恐いか知っていたので、私は慌てて母の手が届かない所まで飛び退いた。

 ヒロやんはゴム前掛けをつけたままギリ場に来ると、「何だんべ」とビクビクしながら言った。

「ヒロ、お前この子に変な歌を教えたね」
ヒロやんはしまったと首をすくめながら「教えてねえよ」とウソを言った。

「ウソ言いなさい、教えたとお前の顔に書いてあるよ。全く仕様がないんだから。いつまでもこんな悪さをしていると、おふくろさんに言いつけるよ」

 ヒロやんは自分の母親が一番苦手で恐いのだ。

「すんません、もうしません」

 ヒロやんがボソッと詫びを口にしたとたん、ギリ棒を使っていた何人かの職人さんが、ワッとばかりに大笑いしながら、そこら中を走り廻って騒ぎ出したので、私は自分がコケにされたのに気付いた。

 それから何日間か、私はヒロやんと口を利かなかった。http://www.atelierhakubi.com/