アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草 -7ページ目

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170126

 【晴】《25日の続き》
「そりゃあオメエ、色々事情はあるだろうけんどよお、人を脅して金を取るなあ良くねえぞ。第一オメエ、そんな金で女房子供を養ったって、ロクな事ねえだろうによ」

「そうだそうだ。いまにバチが当るぞ」

 皆てんでに流しの獅子舞に説教をしている内に、7丁目の交番のおまわりさんが、自転車をふっとばしてやって来た。

「ご苦労さんご苦労さん、あとはこっちでやるから皆引き上げてもらっていいよ」

 おまわりさんの姿を見ると、流しの獅子舞は今にも泣き出しそうな顔でガックリとうなだれ、「あ〃、こちとらだって生きるか死ぬかの瀬戸際なんだよな。借金もあるしよ、ガキもいるしよ」などとこぼしながら頭を抱え込んでしまった。

「何を泣き言並べてるんだ。非力な女子供を脅してユスリタカリをして来たんだから、悪党らしく覚悟をしろ」

 おまわりさんは物凄い剣幕で獅子舞を怒鳴りつけると、乗って来た自転車を押しながら交番に連れて行った。

「あの獅子舞が捕まったって。オオよかった、私ゃこの間あいつに乗り込まれてさ、10円渡したら馬鹿にするなって逆に怒鳴られて100円も持って行かれたんだから」

 使いから帰った隣の叔母が、さもホッとしたという様子で、母屋に駆けつけて来た。

 私は何だか、自分が大手柄を立てたような気分になって、その日は浮き浮きしていた。

 翌朝になると、獅子舞逮捕の噂は、もう皆に伝わっていて、学校への道では、その話でもちきりだった。

 私は昨日の現場の話を聞かせる楽しみで、胸をふくらませて学校に急いだ。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170125

 【晴】《24日の続き》
 実は数日前から、緑町を中心に元町を荒らし回っている新手の押し売りがいるので、見掛けたり被害にあった人は警察に知らせるようにと通達が出ていたのだ。

 獅子舞は物を売る訳ではないから、押し売りというのは少し変だが、いきなり家の中に入って来ると、「家内安全、商売繁盛、無病息災」と、言葉だけはいかにもだが、まるで怒鳴りつけるように大声で叫びながら暴れ回るのだ。

 私は(ははぁん、これだな。例の押し売りは)とピンと来たので、「工場にいるから呼んで来ます」と答えると、ゲタをひっかけて隣の叔父の家に走り、何か盗まれないように見張りを頼むと、全速力で工場に向かった。

「大変だあ、押し売りの獅子舞が母屋に来たぁ。今、町田の叔父さんが見張ってる」

 私は走りながら大声で急を知らせると、ちょうどその場にいた兄や職人さん達が、「何ぃ、とうとう来たか。野郎とっ捕まえて痛い目に会わしてやる」と、えらい勢いで母屋の方に走って行った。

 母は受話器を取ると警察に連絡し、そのあと私と一緒に母屋に急いだ。

 着いてみると、押し売りは職人達に取り囲まれていたが、それでも凄んで「テメエらふざけんなよ。俺がいったい何をしたってんだ。それをまるで夜盗みてえにあこぎな真似しやがって、ただじゃ置かねえぞ」

「何言ってやがる、このデレ助野郎が。オメだんべ、か弱い女しかいねえ家に土足で踏み込みやがって、デケエ声張り上げてユスリまがいの薄汚ねえ押し売りをやらかしてるのは」

「何言ってやんでえ、俺がいつ銭出せとか銭くれとか言ったよ。もし言ったってんだら軒並み聞いてみろ。ナメやがって」

「オメエみてえなゴロツキが、そんな汚ねえ獅子をぶん廻して、子供が泣き出すようなデケエ声で怒鳴り散らしてみろ。誰だって小銭の5円や10円出すじゃねえか。いい加減な屁理屈並べてんじゃねえ」

 いくらその道のプロでも5人以上の屈強な男達に取り囲まれていては、張りに張っていた虚勢も少しづつ崩れていき、最後には「家には病気のカカアとガキが4人も、腹ぁ空かせて帰りを待ってんだよぉ。そりゃあ悪いとは思うけんど、こんな事しか稼ぎの道がねえんだよお。今度だけは何とか大目に見てくんねえかなあ」と、段々泣き落としになって来た。

 この辺の人達は非道にはめっぽう強いが、こういうのにはめっぽう弱いのだ。

 さっきまでの勢いが見る見る内にしぼんでいくのが、私にはよく分かった。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170124

 【晴】
 学校から帰ると、母屋には誰もいなかった。

 床の間の上のラジオから、尋ね人の番組が流れていたが、戦争が終わって何年も経っているのに、まだ沢山の人が国に帰れずにいたり、行方が知れずにいるのかと思うと、やはり戦争は絶対にしてはいけないんだと、改めて心に刻み込んだ。

 床の間の横にある仏壇の上に、三枚の肖像画が飾ってあるが、その内の一枚の亀六叔父さんは、軍服姿だった。

 この辺りには、我が家と同じような肖像画のかかっている家が軒並みで、そのほとんどが軍服姿だったから、その一軒一軒に戦争による犠牲者がいる事になる。

 一番上の兄は、五体満足で帰還したが、結婚して二人目の子供が生まれて間もなく、工場のケガで右手を失った。

 私が小学校三年生の夏であった。

 その後兄一家は、太田市の分工場の方へ移って行ったために、我が家はその分家族が減って、私は慣れるまで少し淋しかった。

 カバンを放り投げ、ボンヤリとラジオを聞いていると、表に人の気配がした。

 声がないので誰か家の者が帰ったのかと、何の気なしに玄関に出てみると、そこに立っていたのは流しの獅子舞だった。

 頭はあちこちの塗りが剥げ、身の唐草はシミと汚れで見る影もない。

 崩れた身なりから発散する雰囲気の猛々しさは、目の前の人がただものではないのを教えていた。

 その男は不遠慮な視線で家の中を見廻しながら、「誰か大人の人はいねえのかい」と、土間に入って来た。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170123

 【曇】《22日の続き》
「お前の事だ、まだ何かあるだろう。もう怒らないから言ってみろ」

 これ以上ネタを明かすと、色々と不都合があると思い、「もうありません」と答えると、何人かの裏切者が即座に「エヘン、エヘン」と咳払いをして先生に訴えた。

「ホーレ見ろ、あいつらがウソだと言ってるじゃないか。あきらめて先生に話せ」

 私は仕方がないので、洗いざらい白状した。

「あと御破算刑」

「何だそれは」

「あのソロバンの上に座らせて10数える刑」

 私は黒板の脇に置いてある先生用の大ソロバンを指差して説明した。

「お前な、あんな上に座らされたら、痛くてどう仕様もないだろう」

「ウン、だから刑になる」

「他には」

「あまりきちょこら刑」

「あまりき…何だそりゃあ」

 学校の東南の角の直ぐ外側に立っている、松崎の便所の煙突の先に口を入れて、あまりきちょこらと20回唱えるのだが、どんなに息の続く奴でも10回が限度なので、刑をかけられた奴は、松崎の便所の臭いを思い切り吸い込む事になる。

 そこはなぜか土が盛ってあり、上に登ると学校の生垣越しにちょうど顔の高さに煙突の口が来るのだ。

 刑は相手をうしろ手に押さえて動けないようにして、一人が頭を持って煙突の先に口が入るように押し付けるから、いくらもがいても逃げられる奴はいない。

 この刑は極刑の部類に属し、余程の悪以外にはやられないはずなのだが、なぜか男子のほとんどは、この刑に泣いた経験があるのだ。

 私は「あまりきちょこら刑」の内容を、怒らないという言葉を信じて先生に説明した。

 先生はしばらくの間呆れたような顔で私を見ていたが、「このバカが」と突然言うなり、持っていた出席簿で思い切り頭をぶっ飛ばした。

 私は何となくそれを察知していたから、紙一重の差で先生の攻撃を避ける事が出来た。

「逃げるかコラッ」

「だって怒らないって言ったから話したのに、ズッリィー」

「何がズルイだ。勘弁の限界を越えてる。戻って来い。ホラ戻って来い」

「ヤダー、ぶん殴るからヤダーッ」

「殴らないから戻って来い。本当にやらないから。コラッ、先生の言う事が聞けないのか」

 結局私は捕まって、しぼりにしぼられてから解放された。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170122

 【晴】《21日の続き》
 「むぐし刑」は、その後途切れる事なく、先生達にも見付からずに密かに続けられたが、ある時東京からの転校生を、歓迎の意も含めて「むぐし刑」にしたところ、そいつは苦しさのあまりひきつけを起こして大騒ぎになってしまった。

 もちろん刑に加わった全員が、先生からこっぴどく叱られたが、その事件がきっかけとなり「むぐし刑」の実態が明るみになり、厳重な禁止令が出てしまった。

「本当にお前らは何を考え出すか、呆れて物も言えないよ。人間がくすぐられるとどんなに苦しいか、嫌という程分かってるだろうに、どうしてそういう事をするのか、いったい誰が最初に始めたんだ」

 皆は黙っていたが、チラチラと私の方を見る様子から、先生は張本人が誰なのか直ぐに察知して、「渡辺、またお前か。お前なんだな。先生もおそらくそんな事だろうとは思っていたが、やっぱりお前だったか。こっちへ来い」

 私は恐る恐る教壇の前まで出て行くと「あのなあ、お前の頭の中にはイタズラの事しか頭にないのか。むぐし刑なんて、どうしたら考えつくんだ。そんな物を考えつく位だから、他にも何か考えた刑があるんだろう。言ってみろ」と言った。

 私はこうなった以上、正直に話した方がいいと思い、「いくつかあります」と答えた。

「ホー、どういう刑だ、言ってみろ」

「母ちゃん勘弁刑と、ゲーゲー刑、それからフルチン刑」

「何だその母ちゃん勘弁刑というのは」

「刑にかける奴を折り曲げて、無理矢理柔軟をさせる刑」

「何でそれが母ちゃん勘弁刑なんだ」

「小林の母ちゃんが、小林をしめる時に使うから」

「ゲーゲー刑は」

「学校の便所のマンホールの蓋開けて、その上に頭を突き出して息させる刑。物凄く臭えから大抵の奴はゲーゲーする」

「フルチン刑は」

「ズボンとパンツ剥ぎ取ってフルチンにして、そいつを置き去りにして逃げる刑」

 先生は黙って私を見ていたが、ぐっと笑いを堪えているのが私にもみんなにも分かった。

 そこで笑ってしまったら先生の立場がないと思ったのか、手に持った出席簿で私の頭をいきなり引っ叩いた。

 しかし、それがかえって良いきっかけになってしまい、教室中が爆笑の渦でいっぱいになって、先生の威厳は丸潰れだった。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170121

 【晴】《20日の続き》
 翌日いつものように登校すると、仁田山も岡島も先に来ていて、私の顔を見るなり「オース」と声を掛けて来た。

 今までもそうだったが、前の日に大ゲンカしても翌日には大抵ケロッとしているから、今回もそんな調子だろうと思い、「オース」と気軽に声を返して忘れてしまった。

 昼休みの給食が終わり、さて校庭に出てドッジボールでもするかと、仲間と連れ立って教室を出ようとした時、「渡辺と小野寺、あと家住と宮内、先生が講堂で呼んでるぞ」と、隣の組の荒木が迎えに来た。

 (おかしいな、いったい何の用だろう)と、少し妙な感じもしたが、時々そんな事もあるので、小野寺達に声を掛けて講堂に向かった。

 講堂に入ったとたん、私達は多勢の奴らに捕まり、床に敷いてあるマットの上に押さえ込まれてしまった。

 一瞬の事で全く抵抗する事が出来なかったが、今考えてみれば、仁田山達の不自然な人懐こさを、変だと気が付かなければいけなかったのだ。

「ザマ見ろ、うまく捕まえた。ヤイッ、きのうはよくもむぐし刑にかけてくれたな。今度はこっちの番だ、覚悟しやがれ」

 仁田山が岡島を連れて跳箱の影から走り出て来ると、身動きの出来ない私達に容赦のない「むぐし刑」をかけて来た。

 私も他の三人も、「ワハハッワハハッ」と笑いながら、涙をボロボロ流して苦しみに苦しんだ。

 体操部員の仁田山が、部員の仲間を助っ人に頼んで仕返しを計画したのだそうだが、昨日の今日やられるとは全然考えていなかったので、敵ながらあっぱれと感心しない訳にはいかなかった。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170120

 【晴】《19日の続き》
 それぞれが物影に落ち着いて、ようやく乱れた息がおさまった頃、まさか私達が待ち伏せをしているとは夢にも思っていない岡島が、のんびりと目の前を通り過ぎて行く。

 岡島の家は線路沿いに密集する、通称「カスバ」の家並みを平行に通る道から、愛宕山の低い切通しの手前を左に入った山沿にある。

 岡島がポケッと間延びした顔で左に曲って私達に背を見せたところで、足音を忍ばせながら一斉にあとを追い、もう間もなく家の玄関に近付くという場所で、物も言わず担ぎ上げてひっさらった。

 岡島は何が起ったのか直ぐには理解できず、びっくりし過ぎて声も出ない有様だったが、枕木の柵をくぐって線路をまたぐ頃になると、どうやら自分の立場が飲み込めたのか、機関車の汽笛も顔負けの悲鳴を上げながら、バタバタと大暴れして逃げようとした。

「岡島よ、いくら逃げようとしたってダメだからな。これから死ぬまでむぐしてやるから覚悟しろよな。ヒッヒッヒッ」

 私は相手が思い切りビビるような言い方で岡島をいたぶった。

「馬鹿やめろ。そんな事したらクソもらしてやるからな。小便だってしてやるからな。あ〃やめろ、やめろ馬鹿」

 何を言おうと構わずに、私達は岡島を白石山房の芝生の上におろすと、小野寺と家住と宮内が身動きの出来ないように押さえ込んだ。

 人間は脇の下をむぐされると死ぬほどくすぐったい。

 私はおもむろに岡島の脇の下に指をあて、「これから岡島のむぐし刑を始める」と厳かに宣言すると、岡島は「ヤアメロー頼む、むぐし刑だけはやめてくれえ。たあのむうー」と絶叫した。

 「むぐし刑」の恐ろしさは誰もが身を持って知っているので、岡島の気持ちはよく分かったが、それだけに四人共処刑する快感の誘惑に勝てなかった。

 岡島は私が軽く脇の下に手を出しただけで、「ウワッハッハ、ウワッハッハ」と身をよじって苦しんでいる。

 くすぐる手を段々激しく動かすにつれて、岡島は「ギャッハッハ、ウエーン、ギャッハッハ、ウエーン」と、何が何だか分からない喚き声をあげながらのたうち回った。

 岡島の体が弓形に反り返って白目をむき始めたので、私達は「むぐし刑」を終了したが、岡島はよほど悔しかったのか、「テメエ、いつか殺してやる。今度は俺がオメエをむぐすから覚えておけよ。チキショーバカヤロー」と、泣き喚いて悪態をつきながら、そこら中を転げ回っていた。

 そんな岡島を置き去りにして、私達は意気揚々とその場を引き上げた。http://www.atelierhakubi.com/