アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170309 | アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170309

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 【晴】
 四組の中は言うに及ばず、全学年の中でバク転バク宙の出来る奴は、仁田山を入れて5人といなかった。

 校庭にマットを敷いての体操の時間の花形は、そんな訳で華やかにバク転とバク宙を演技する仁田山に決っていたけれど、それに加えて正車輪送車輪もこなしてしまう実力の前には、誰も文句が言えなかった。

 私も何とかバク転をこなそうと、仁田山の熱心な授業を受けたが、どうしても物にする事が出来なかった。

 その代り、地上転回と空中転回は、それほど練習しなくても、仁田山の指導によって、割合簡単に収得する事が出来た。

 私が体操で唯一仁田山を越えられたのは、飛び箱だったろうか。

 当時私の身長は学年の中でも高い方だったから、他のスポーツ、特に陸上競技では、常に上位の成績を保っていたが、球技、特に野球には、全く適性がなかったように思う。

 その頃には映画の影響もあって、空前の柔道ブームだった。

 親はなぜか、私がいくら頼んでも、近くの道場に入門する事を許してくれず、仕方なく「夢の屋」で買って来た柔道の手引書を片手に、仲間と稽古をしては家の人に叱られた。

 今では思いもよらない事だが、私が小学生の頃には、柔道は善玉で柔術は悪玉扱いだったのだ。

 柔道は新しくて柔術は古いもの、柔道は柔術を改良して生まれたから、柔術より強い武道なのだと、どういう訳か疑いもせずに信じていた。

 映画の中では、最後に必ず柔道が柔術を負かして、正義は必ず勝つんだという事になっていたから、柔術を良く思うガキなんか、一人もいなかった。

 一生懸命稽古をしたので、自己流ながら柔道では学年の中で弱い方ではなかったから、仁田山から体操の技を教えてもらう代りに、講堂にマットを敷いて、少しあやしい柔道を仁田山や何人かの仲間に教えた。http://www.atelierhakubi.com/

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